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2005/6/4 古山晴久氏第一回講演会報告レポート

 昨年の夏、海の見えるペンションで懇親会を開いてから約1年ぶりの集まりでした。実は、講演会は20数年ぶりだったのです。
この間、古山氏は、アダムスキー氏縁の地カリフォルニア州ビスタに居住されカメラ店を経営される傍ら、宇宙人来訪にまつわる遺跡の探求を続けておられまし た。コラムや今回の講演会の題目になっていた「砂漠の一点」デザートセンターのコンタクトポイントを発見したこともそうですが、ユカタン半島のピラミッド 郡やインディアン居留地の岩絵の調査なども精力的に行ってこられました。その調査資料は数千点の証拠写真を含む膨大なものであると聞いております。
また、宇宙人とのコンタクトは、たま出版刊の「ニラサワさん」への友情寄稿文「ビスタから愛を込めて」の中でも映画俳優の宇宙人Jさんとの思い出として語られていますが、Jさん以外にも彼が経営するカメラ店等で出会っていたのだそうです。
今回の講演会・懇親会では、多くは語れないとしながらも、貴重な写真やお話を伺うことが出来ました。参加された皆様方にとっては、忘れられない思い出となったことでしょう。
さて、前置きが長くなりましたが、以下に今回参加されなかった皆様にも講演会の雰囲気を味わっていただけるように、会場のスナップ写真を交えながら簡単ではありますが、ご報告いたします。
尚、最後になりましたが、今回、このような貴重な機会をつくって頂いた古くからの友人達と素晴らしい講演をして頂いた古山晴久氏に心からの感謝を申し上げます。

 

古山晴久氏講演会「砂漠の一点 デザートセンター」

 


参加した皆さんの記念写真です。前列向かって右から3人目が古山氏です。
宇宙の旅人は何所にいるでしょう?バックが眩しいのは私のせい?
そうじゃないって、こちら側で撮影をしていたんだから・・・

 


講演会が始まる前の一時、参加者のM氏と古山氏。
デザートセンターのパノラマ写真の前で撮影。

 


講演会風景(1)
デザートセンターのコンタクトポイントを発見するまでは、かなり大変だったようです。
何度もその場所に訪れたそうですが、何故か見つからなかったそうです。
実は、アダムスキー氏と共にその場所に行ったはずのアリス・K・ウェルズでさえ
覚えていなかったのかもしれないとのことでした。
1979年の発見の時まで、その場所にはバリアーが張られていたかのようだったと説明されていました。

 


講演会風景(2)
      スクリーンは見えにくいですが、デザートセンターの画像を前に熱く 語っている古山さんです。
その思いは私達が想像する以上に深い ものがあるようでした。

 


講演会風景(3)
古山氏の説明に聞き入る皆さんです。左上に古山氏の姿が写っています。
画像付掲示板でお馴染みの方々も写っていますが、さて誰でしょう?

 


講演風景(4)
デザートセンターの説明が一通り終わったところです。
後ろのスクリーンには、アリゾナのセドナの風景が写っています。
ボルテックス(磁気渦動)で有名なとても美しい場所です。

 


懇親会風景(1)
参加者の皆さんの、名残惜しいというお気持ちから、急に決まった懇親会でした。
会場のお隣のサティーから弁当を買ってきて食べました。
ここだけの話ですが、 もちろん、おはぎもちゃんと買ってきましたよ。誰の好みでしょう?
背景には、若戸大橋と洞海湾の一部が見えます。

 


懇親会風景(2)
皆さん、それぞれの話題で歓談中です。



古山氏の秘蔵の写真に見入っているところです。
何を見ていたのかは、その場にいた方だけが知っています。

 

これで、ご報告を終わりにしようかと思いましたが、ご覧になられている方も、名残惜しいのではないかと思いましたので、最後に、質疑応答の内容を紹介しながら、幾つかのスナップ写真をお見せして今回の講演会のご報告とさせていただきます。

 

Q.バンデンバーグモーターについて

A.石油は未だ沢山あるので、フリーエナジーは出てこないだろう。彼は、行方不明になったと言われていたけど生きていた。彼のモーターは、UFOと同じフリーエネルギーが使われていた。だから、煙たがられたんだ。
Q.グレイについてどう思われますか?

A.金星人は、人間型ロボットを使う。火星人だったら好むかもしれない。地球人が作っているのもある。
Q.古山さんの関心はいつ頃からなのですか?

A.4歳の頃に、火の玉UFOを目撃した。田んぼの上で、ふらふらと飛んでいた。その時、とても懐かしく嬉しい感じだった。
  1965年に日本GAPに入った。その頃アダムスキー氏が亡くなった。同じ考えを持っている人(仲間)がいるという感じだった。そこから入って行った。
  1972年ごろアメリカを目指してカナダへ渡った。その後UFO教育センターのシャーロット・ブロッグたちと講演やTV・ラジオに出ていた。
1977年には、ホワイトハウスに行った。
ニューヨークの国連で重要人物と会って、これからのUFO問題をどうして行くかについて話し合った。同じテーマで、当時のジミーカーター大統領の右腕と 30〜40分会見した。彼らは、大衆を恐れていた。しかし、彼らは(ジミーカーターも)UFO問を理解していた。この活動をホワイトハウスからしたかった けれども、国連からしてもらえないかという感じだった。そのような、活動をしていた。
ある時、ウイスコンシンの警察に講演に行 ったことがある。
この警察署のチーフが円盤を目撃していた ので呼ばれた。署員50〜60人全員を呼 んでいた。(パトロールには、1人か2人し か行っていなかった。・・・笑)
しかし、誰にも自分の目撃のことは話して いなかった。
彼の体験談と言うのは、自宅の直ぐ下に川が流れている。ある冬、奥さんが朝食を作っていた時、凍っていた川に人が歩いていて3〜4人うろうろしていた。奥 さんに呼ばれて見てみると黒っぽい円盤の周りを何人かが遊んでいた。その内、円盤の中に入っていって、急角度で飛んでいった。

Q.DrXについて

A.彼は、元NASAのトップ。
  1947年のロズウエルUFO墜落事件の調査スタッフだった。当時は若きエリート科学者。実際にUFOの破片(透明なガラス状の固く軽い金属)を見 た。宇宙人の遺体は、美しく知的な顔立ち、我々となんら変わらない。彼らを尊敬できる感じがしたそうだ。この人間たちにも生活や家族、友人達がいるのか と・・・そのように感じる人もいるのだ。

Q.Jさんについて

A.1979年Jに会っている。GAが親しくしていた宇宙人、若い時に地球へやって来て芸能界で活躍していた彼と友人になった。宇宙人は身近なところにいる。正体を明かした時は向こうに帰らなければいけない。特別な能力は隠しているものだ。
Q.オーソンの写真はあるのですか?

A.無い。色々なところに出て行くので写真は撮らせない。オーソンの絵には彼のフィーリングが出ている。ぼやの後はそれが無くなった。

講演会の感想

古山さんのお話は、いつ聞いても魂に響いてくるようだ。何故かは、一人一人の内部のフィーリングが語ってくれるだろう。皆さんとお会いできてとても楽しい時間を過ごせました。ありがとうございました。

宇宙の旅人 2005年6月8日(水)記


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