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母船から飛び交うUFO

 

 

はじめに: 「UFO STATION」のコラムに登場するように成ってからさらに現在進行形でシンクロニシティーは進み、この家内のUFO体験につながるのですが、それらはまるで全てが連鎖し合った組曲のようです。
ある日突然、そっと話してくれた彼女のUFO体験には正直驚きました!その体験は正にしたくても出来ない体験をしたと思うからです。アダムスキー氏体験の論議が未だに続く中、人生のパートナーが体験した事は、氏体験をも一部裏付けるもので僕にとって力強いものと成りました。皆さんと共有したいと思います。

彼女はあるメールマガジンでマレーシア支局を勤めている程、文章表現力が個性的なので直接寄稿を頼んだのですが「自分自身の体験を書くとリアリティーが無くなってしまうから」という理由でインタヴュー形式を取りました。


*インタヴュアー  みさわ

*インタヴュイー  ますみ


 ざっとしたその時の状況をお願いします。

 1979年3月だったと思う。高校の春休みに友達4人で押野八海(山梨県)へ出掛けて行った帰りに一人先に家に送って、残りの3人で静岡  県榛原郡相良町の海岸に出たの。
夜8時頃だったかな?イカ釣り船がいくつか出ていて、その内それを見たの。

 出始めはどんなふうだった?UFOに気づいた時は?

 良く覚えてないけど私達が立っていたところから左側の空に大きな光を見つけてみんなで「何あれ?」なんて言っていたらそこから光が出てきたの。初めはイカ釣り船かと思ったけどそれはもっと手前でイカ釣り船の背後の割と低い空で起きていたの。それで次に飛行機?って思ったり消去法で考えて行ったらUFOしかないと思った。

 そのUFOはどんな感じだった? そこから出てきたUFOは?

 明るいオレンジ色で大きさは半月くらい有ったと思う。形はたまご形でこの大きいUFOはずっと止まっていたのね。そこから出て来たUFOは青白い色で金星より大きく見えた。

 母船とUFOだね?(例として母船とスカウトシップの写真を見せる)
  それから?

 私もそう思った。母船を見始めて直ぐそこからいくつもUFOが出てくるのが見えたんだけどもう次々に出て来てジグザグに飛んだり、凄い速さで出て来たと思ったら母船に戻るUFOが有ったり、母船から平行に飛び出したと思ったら垂直に落ちて階段状に上がって行くUFOが有ったり、その一つ一つがランダムに動いていて全部の動きを見れなかった。私は飛び方やスピードで色が変わったように見えた。青白かったりオレンジ色に成ったり。私達は「何これ!」って言ってもう唖然!まるでエレクトリックショーを見ているようだった。

 

 凄いね! 何機くらいUFOが出て来たの?

 良く覚えていないけど5、6機のUFOは出ていたと思う。でもそれは私が見える範囲でもしかしたら母船の左側にも同じように出ていたかもしれないわね。一番印象的だったのは1つのUFOが私の正面まで母船から水平に凄い速さで飛んで来ていきなりジグザグに降下して行って海面すれすれのところで垂直に急上昇してまた左の方へ飛んで行って「こんなことも出来るよ」って言っているみたいだった。凄く嬉しかった!

 …。(絶句)

 不思議なのはその母船はその前に家族で見たのと同じだったの。

 えっ!その前にも同じのを見たの?

 その頃両親がUFOに興味が有って私は良く父に連れられて大井川(静岡県)の川原で夜寝そべって空を見てたりしたんだ(笑) ある日母が夜中に「UFOが来た!]と起こすので見たら近所の木の上に不思議な光が有った。眠かったから直ぐ寝ちゃったけどね(笑)今思い出すと母船はその時と同じものだったと思う。

 う〜ん やっぱりね!  ショーのエンディングはどうだった?(笑)

 (笑) とても広範囲だったから全部の動きを捕捉できなかった。母船に帰って行くUFOも有れば、まだ飛んでいるUFOも有ったけど母船も含めてランダムに消えていった。それから見ていた時間は5分なのか10分だったのか30分だったのか解からないの…。

 それは多分エンジョイしていたから時間が短く感じたのかな?良いショーのように?

 そうかもしれない。

 このUFO体験がその後、君にもたらしたものは何かな?
 
 解からないなぁ!私は凄いものを見たと思うけれどだからって空騒ぎする事は無いと思うの。
  当然帰り道では「凄かったね!」って盛り上がったけどね(笑)

 なんたってUFOのエレクトリックショーを見たんだものね! ありがとう!

 ありがとう!

終わりに: 何故最近まで家内がこのUFO体験を僕に話さなかったのかは、多分お互いに音楽関係で知り合い、直ぐ結婚、次の年出産と子育てと海外移住から激動の6年を過ごしていたからかも知れませんが、一番は彼女の空騒ぎしたくないという堅実な気質からだと思います。インタヴューの中で出てくる共時性や背景もとても興味深いです。
きっとこの体験が彼女にもたらしたものは、現在彼女が係わるメールマガジンを「宇宙家族」と命名する要素に成るほどインセンシヴな(内的刺激を受ける)ものだったと思います。


参沢(みさわ)敦彦     2004年8月18日 



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