UFO_STATION_LOGO.GIF

 

アダムスキータイプのUFO    超接近目撃体験

伊藤 和    

 

 

今年、2005年6月に思いがけず「UFO STATION」の宇宙の旅人さんからご連絡のメールを頂きました。(このメールが何故私に送られてきたのか、今もありがたき謎です!)お陰さまで北九州市戸畑区での古山晴久さんの講演会に参加でき、主催者ご夫妻はじめ、UFOを地道に追及しておられる皆様にお会いすることが出来ました。
また、アダムスキー50周年大会(於東京)でお目にかかれた韮澤潤一郎さん著タマ出版刊「ニラサワさん」に友情寄稿され、かねてからお会いしてみたいと願っていた古山晴久さんから、とても貴重なお話をうかがえる機会を頂き、本当に嬉しく感謝しております。
今回は、8月27日の懇親会で、お話させていただいたUFO目撃体験をご報告させていただきます。

今から32年前(1973年?)の春か秋(はっきりメモを残していなかったので。その時マタニティの服を着ていたことから、子供が生まれた直後の秋だったかなーと思います)の夕方のことです。
白川(熊本県)の堤防にある我が家の門を入ろうとして、ふと上を見上げると、右斜め上の上空6〜7メートルに、UFOが2機(まったく同じ型で、直径は数メートル、2機の間は3メートル位ではなかったか)が浮かんで、ゆっくりと移動しているのが、突然目に入りました。
思いがけない眼前接近遭遇でしたので、私は、門の鉄棒を両手で握ったまま、見上げ続けました。
UFOのほとんど斜め真下から見上げたので、最初に目に入ったのは、3つの丸い着陸ギアでした。
2機が、目の前なのに、風も音も無く、滑るようにゆっくりと頭上を過ぎて、やがて少し前方に進んだ時、全体の姿が見えてきました。
そのときの、私の正直な印象は、「なんと、クラシックな形だろう・・・」という印象でした。
着陸ギアの上に、スカートがあり、その上に乗組員が居れるような短い筒状(窓があったと思います)の部分、その上にドーム型の屋根?があり、そのドームの中心にオレンジ色の光が回転しながら、チカッ、チカッと光っていました。機体は、夕陽を受けてやわらかなピンク色に染まって見えました。また、機体と周りの空気との境目は、たえず細かな粒子がブブーッと揺れながら動いていました。UFOが通過した空間には、現在2階が建て増しされているので、やはりその位の上空であったと思います。
2機は、おそらく私の背後にある白川の方から現れて、ゆっくりと頭上を過ぎ、やがて国道の上あたりで、右側に滑らかなL字ターンをして、熊本大学方向にゆっくりと移動し、やがて見えなくなりました。
ただただ見送った私は「ああ、やっぱり、いてくれたのだなー。」と、何とも言えない安心感でいっぱいになりました。
というのは、当時は、アダムスキー懐疑説が全体に強まっており、地球からの惑星探査報告の内容が、それを更に支持するような時代だったと思います。それで予期せぬ目撃でしたけど、私は心から安心し、満足し、その後の、あわただしい日常の生活に戻り、月日が過ぎました。
だいぶ経った後で、アダムスキーの「空飛ぶ円盤同乗記」を見直したとき驚きました。あの時のUFOが、アダムスキー氏が金星人に乗せてもらったものと、まったく同じ形のものだったとわかったからです。
UFO内部の構造図を見て、大変納得できたことを思い出します。


 実は、高校2年生17歳のとき(今から43年前)「空飛ぶ円盤同乗記」を読み、感激で3日間ほど眠れなかったことが、UFOへの関心のスタートとなりました。その後、学生時代は、CBAの仲間とともに観測やYMCAでの写真展などの活動に夢中でしたが、卒業後は皆それぞれの人生に忙しく、会うことも無く月日が経ちました。
今回ご報告しているUFO目撃体験は、アダムスキー氏の本に出会って、丁度10年目くらいの時だったのです。今思うと、当時は日常の慌しさに追われて、具体的なUFOへの思索・活動から遠のいていましたので「忘れないで、追求しなさい」というメッセージだったかなーと感謝しています。
 以来、アダムスキー氏の本や目撃が原点となり、漫画のような展開で人生が進んできました。ユーフォロジー(ライフワーク)とジェモロジー(仕事・宝石学)とエコロジー(ボランティア)の出会いと交流は、まるで万華鏡のように繋がってきて驚いています。
どうか今後とも、皆様、宜しくお願い致します。


2005・10・8記    

 


BACK