第一発見者は、水田の持ち主の阿部俊蔵さん(当時65歳)であった。
実は、もう一人、水田の直ぐ側(10メートルの距離)を通っている鉄道を利用していた高校生の男子が目撃していた。
次の写真を見て欲しい。
サークルの全景写真
北側のサークルは、直径18メートルの真円で、円の内側には、中心部から左回りの渦巻状に稲がなぎ倒されていた。中心の2〜3本の稲は、何故か倒れずに残っていた。もう一方のサークルは、直径5メートルの円であり、その外側にもう1周土星の輪のように幅1メートルの間隔で、稲が倒されていた。
何を、意味しているのかな。それが素朴な疑問だったことを憶えている。
当地を訪れた古山晴久氏は、帰りの車中で、これは、マグネティック・モータのヒントを与えているんじゃないかと言っていたが・・・・
実は、このミステリーサークルが出現した9月から10月にかけては、篠栗町から3キロとはなれていない隣町である久山町でUFOの目撃が多発していたのであった。
目撃者の話によると、同町にあるゴルフ場の上空に飛行船ぐらいのものが浮かんでいるのを見た人もいた。また、夜中に、「ボーン」という音を聞いた人も多くいたという。
また、ビデオカメラで、UFOを撮影したという人も現れたが、NHKへこの原版を手渡した所、行方不明になったとかで戻ってこなかったという報告まである。確か、その後で別の機会に撮影されたビデオを見に行ったという記憶があるが、あまり鮮明ではなかったように覚えている。
それでは、ミステリーサークル出現の篠栗町という所は、UFOとの関わりが何かあるのだろうか・・・・・
地元の人には、有名な場所である篠栗町は、弘法大師が開いたという霊場の一つに数えられ、「篠栗さん参り」で知られている場所でもある。私は、お参りしたことはないが、私の両親の話によると山の頂上付近にある霊場の奥の院まで登っていくと、結構険しいらしいが、何故か、翌日に疲れなどが残らなかったという。このことは他の人からも聞いたことがあった。
この場所が、アリゾナにあるセドナのような磁気渦動を持つボルテックス(Vortx)の地なのかもしれないと思わせる体験談だ。
次に、先ほど久山町でのUFOフラップに触れたが、この近辺では、宇宙人によるコンタクト事件が発生していたという確かな報告もあるので、これから、その宇宙人コンタクト事件を見てみることにしよう。
最初は、かなり古いケースではあるが、サークル出現の隣町の久山町で発生したものとして興味深いと思えるので取り上げる事にした。
昭和15年5月15日、その日は、快晴に恵まれ爽やかな風が吹いていた。息子さんを軍人として戦地に送りだした信仰深い一人の女性であったYさんは、いつものように朝の厚き祈りを終えて、家から少し登りつめた場所にある畑へと出かけていった。Yさんは、黙々と畑を耕していたが、いつしか太陽も一段と輝きをまし汗がうっすらとYさんの額に出てきた頃、ふと気づくと、自分の周囲およそ8畳四方が一際明るくなっているのに気づいたのだった。奇妙に思っているとその明るい周囲の輪が少しづつ小さくなっていった。そして、何気なく空のほうを見上げると、太陽とは違う極めて明るい光が真上にあったという。呆然としていると、やがて光の輪は、しぼみ出しYさんは上空に吸い上げられたという。Yさんによれば、「日の神様が降りてきた」という表現をされていたということである。
この事件後、Yさんには治癒能力が身につき、口伝えで多くに人たちが尋ねてきたという事である。
当時は、戦争中のことでもあり、国内治安に厳しい時代であったが、弾圧を恐れる身内の忠告に対して「心配ない、戦争はもう直ぐ終わる。戦争がおわったら新しい法の元に登録すれば良い。そうすれば誰も妨害できなくなる・・・」と予見したという。
Yさんは、1978年に既に亡くなっておられた。
この話は、当会の福岡支部担当の駒井幸春氏がYさんの息子さんから直接に聞いたものである。
次は、1974年10月のUFO搭乗事件なのだが、それに先立って福岡県嘉穂郡嘉穂町ではUFOフラップ現象が発生していたことを付け加えたい。
知らない方のために少し補足しておくと、この地では、毎晩のようにUFOが飛来し多くの目撃者が誕生していた。もちろん私もその中の一人であった。
ある日、ラジオ局の取材班がインタビューを敢行していた時、その録音テープには、妙な発信音と宇宙人らしい声が録音された。また、その取材班は、近くの航空自衛隊基地へ何が起こっているのかという問い合わせをしたのだが、明らかに何らかの光る物体が飛んでいるにもかかわらず、レーダーには何も映っていないという理由で、スクランブルなどの行動は起してくれなかった。
そんな最中に、近傍の都市である直方市を流れる遠賀川の河川敷にUFOが飛来し着陸までしていたと言うのである。
UFOには、ウエットスーツのようなものを着た身長180センチぐらいのがっしりとした二人の宇宙人が乗っていた。
Kさんは、UFOの中に招待されるように入っていったという。その後UFOはKさんを乗せて地上を離れ日本各地を飛行してくれたという。その時、直方近くにある香春岳という山には、何がしかの興味深い鉱物が存在するんだと言っていたそうだ。実は、その後Kさんは、不思議な現象に見舞われ悩んでいたのだが、その後はイギリスへ旅立たれた。
最後に、1980年12月に発生した事件を紹介しよう。
N氏が忘年会(本人は酒が飲めないのでその日も飲んでいなかった。)の帰りに車で福岡県宗像郡福間町の海岸線近くを通りかかった時、海の方がオレンジ色に光っていることに気づいた。いつもは臆病な性格でそんな所に一人で行くことは出来ないということであったが、その時は、何故か恐怖は感じなかったという。それで、車を降りて近づいてみると、そこには、身長が1メートルぐらいの人間が立っていた。おかしいな、こんなに遅い時間に海岸に子供が一人で居るなんてと思ったらしい。しかし、よく見ると子供ではなかった。その後、この宇宙人らしい人は、宇宙観や宇宙の法則に関して説明してくれたという。話が終わると、オレンジ色に光っている球体形のUFOに乗って海上へ“ズワー”という感じで消えていったという。この体験の後、N氏の人生観は変わってしまったということだった。その後、N氏は東京方面に移っていかれたと聞いている。
以上で、旅は終わりに近づいてきた。しかし、今見てきた以外にも九州では多くのUFO目撃やコンタクト事件が発生していたことが当時の資料から分っている。そして、現在も発生し続けているかもしれない。篠栗のミステリーサークルにまつわる話題の結論は、結局は何も提示できないでいる。後日談として、篠栗の後には、福岡県行橋市や飯塚市でもミステリーサークルが出現した。はたして、それは誰かの悪戯なのか?それとも、宇宙的な意味をもったサインだったのか・・・・私たちの旅は、まだ続いて行くことになる。
2004年3月24日 宇宙の旅人
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